2人め妊娠中の義妹がいよいよもうすぐ出産、となったようです。
私の2人め、次男の時は「お?きたかな?」と思ってから5時間弱で出産に至ったのですが
今回の義妹は兆候出始めから少し時間があるようで‥
出産は人により、兄妹によりそれぞれ違ったパターンで来るので
一概にこうだと言えないのが
ちょっと怖くもあり、ドキドキ、ワクワク(いよいよご対面!という)ありな体験なんですよね。
母としての体験の中ではかなり強烈。
なのに時と共にボンヤリと‥
次の出産のために痛みを忘れるようになっている、
というのがホントかどうか分かりませんが、
貴重な体験であることは確かなのに、忘れていくのも悲しいな、と
3人産んだ思い出をこの機会に記録しておこうと思います。
将来娘が妊娠した時に役立つかもしれない?し、
(「出産てどんなだった?」「えーもう何十年も前で忘れたわ‥」ってなったらガッカリだよね)
出産ってどんなかんじ?
どんな痛み?
と思っているどこかの初妊婦さんの参考にもなるといいなと。
覚えているところ、記録があったところなどはなるべく詳細に書くので
関心ない箇所は目次などで飛ばしてお読みください。
■ 目次
眠れない夜からの、一人目の出産
出産までの流れ
まず最初の、長男の出産の流れ。
6年前なので時間間隔などが曖昧ですが‥
- 兆候;夜0時頃からだったか、なんとなく下腹部に痛みを感じ、眠れない。
しかし間隔が規則的になるまで時間がかかり、
「凄く痛いわけじゃないし、これって前駆陣痛なのかな?」
などと考えつつ、途中うとうとしながらも夜間を過ごす - 産院へ;規則的に痛みが来ている気がしたので朝6時頃産院へ行ってみる
- 子宮口・CTG(胎児心拍陣痛図)により「今日生まれると思うよ」と言われ驚く
- 午前中はなかなか痛みが強くならない(=進行していない)ため、産院の廊下を歩いてみたりする
- ランチが出る;産院の豪華ランチ(後述)が12時ちょうどに出るが、食事はできない痛みになっていたので付き添ってくれていた夫が美味しく頂く様子を恨めしげに眺めながら、陣痛の波に耐える
- 14時頃から本格的に痛い陣痛の波になり、(と思う。忘れた‥)15時過ぎに生まれる
陣痛の痛みの度合い
陣痛は「ブルドーザーでお腹を轢かれるような痛み」、
出産は「鼻からスイカ」、
などと言われても、経験しないと全くイメージできないですよね。
痛すぎて泣き叫ぶとか、豹変し暴言を吐くケースもある‥
なんて聞くと、私は自分の理性を保てるのか?ということが一番心配でした。
しかし幸い、痛みで叫ぶとか、我を忘れる‥
といったことはなく、
生まれる前1時間弱くらいからの痛みMAXな陣痛の波は確かにツラいけど、
“徐々に赤ちゃんが下りてきて下方向への圧力が強まっている” とお産の進行を感じられたし、
痛みも “赤ちゃんを押し出そうという子宮の運動” というのが分かるので
(原因不明、終わりの見えない痛みではない)
脳内は割と冷静でいられました。
身体は経験のない痛みをどう逃がそうか必死ですが。
体験するまで知らなかったのですが、
ほんと生まれる直前の数分間(人それぞれと思われるけど10~15分?)までは
陣痛の『波』の合間は割と普通に会話できるぐらいに収まっていて
ずーっと痛みが押し寄せているわけじゃないんですよね。
まぁお産の進行と共にその間隔が1,2分刻みになって(私はそれが1時間くらい前からだった)
休まる時間がだんだん短く、コレどれぐらい続くんだ?!キツイ!!
って状態になっていくわけですが。
出産の瞬間
長男の出産では初めてというのもあり、
やってきた最大級の痛みをどう処理し、どう呼吸をしてどういきんだらいいのか、
よく分かりませんでした。
『でっかい〇ンチを出すかんじ』
出産の瞬間は、確かにそうとも言えるので単純に考えれば難しくなさそうですが、
全く違うのはもの凄い痛み(お腹全体への圧力)が伴う点。
最初の出産のこの時ばかりはさすがに冷静ではいられず、
喚いたり叫んだりはしないながらも、ちょっとしたパニックでした。
いつも検診で診てくれているセンセイは、
もー耐えられない、生まれるー!って頃にささっとやってきて、
赤ちゃん取り出して、後処置(後産とか会陰縫合とか)をやったらまたささっと去る
んですよね。これも出産するまで知りませんでした。
(『コウノドリ』とか当時はまだ出てなかったし)
基本的にお産のお世話をしてくれるのは助産師さん。
長男の出産で印象的だったのは、
やっときた(=やっと生まれ、やっと解放される、という安堵もあり)センセイに
「(産むの)ヘタ!」と言われたこと。
サバサバした中年の男性医師で、厳しいとか怖いということはないんですが、
パニック気味でうまくいきめない私にもどかしかったんでしょうね。
私も「(そんなこと言ったってわかんないよ~!初めてだぞ?!)」ってかんじでした(笑)
「(うっ すごいのきた)!」ってなります(笑)
トータル一瞬の出来事ですが。
会陰切開
会陰‥えいん‥
妊娠するまで知らなかったです。
チョット考えれば確かに、『鼻からスイカ』出したら、そりゃ鼻の穴裂けますよね。
ビリッと裂けたら治りにくいから、その前にあえて「切る」!!
そんな処置があるのか、と考えただけで怖くなります。
でも聞いていた通り、処置するのは既に最大限の陣痛の痛みきている時なので、
医師が切った『チョキン☆』という音は聴こえても切られた痛みは分かりませんでした。
(センセイも痛くないポイントをおさえている??)
ただ産後の入院中、切れた患部の痛み(聞いていないけど裂けてもいたのかも)は
しばらくしんどかったです。
呼吸法・出産スタイルなど
ソフロロジー、フリースタイルなど色々な出産方法があるらしいなか、
私はまったくこだわりなく産院を選びました。
私が子ども三人を産んだ産院ではLDRルーム(陣痛、分娩、回復を全て同じ部屋で行う)
で全て済んだので(陣痛が弱く、よりお産の近い妊婦さんがいる場合は別室だけど)
病院の処置室感が強い分娩室で産むよりは移動も無くリラックスできて良かったと思います。
驚いたのは呼吸法。
お産といえば「ひっ・ひっ・ふー」とか教わるんだろうなー
と思っていたのですが、検診での助産指導でも、いよいよ陣痛がきてからも、
一向に誰も教えてくれない。
多少お産について事前にググったりはしていたものの、
基本的に産院任せでいたのでお産を迎えてちょっと不安になり、
「あの、呼吸法とかって‥」
とまだ陣痛の波の間で余裕があるうちに助産師さんに聞くと
「結局うまくいかなくて混乱するだけだから、うちではやってないよ」
とのこと。えー?そういうもの??と思ったものの
助産師さんがそう言うならまあ、大丈夫なのかな、とお産にのぞみました。
じっさい、いよいよお産直前になって、
「(ああ、これはたしかに、呼吸法どころじゃないかも)‥」
と思いました。
強い痛みを逃がそうと「ハッハッ」と息をはいてばかりで、
なかなか息を吸い込めないんですよね。
息を吸うと痛みを受け入れるようなかんじで、辛いんです。
でも息を吸わないと赤ちゃんが苦しいので、なんとか吸おうと頑張る。
また息を吸わないと、いきむ力も入らない。
長男のお産では必死で息をはいてばかりで吸えず、
うまくいきめなくて「ヘタ」と言われたんだと思います。
呼吸法もなにも、痛みのなかでいかに落ち着いて深呼吸できるか、
ということに尽きるのかなと思います。
最初のお産ではそんなことを考える余裕がなかったので、パニックなまま産んだかんじでした。
そう考えると、産院の「特に教えない」という方針は間違ってはいないとしても、
私の理解が正しいかどうかはさておき、呼吸における心構え的な助言はしてもらえるとよかったな‥。
冷静に痛みに向き合う、二人目の出産
今回この投稿を書くキッカケが、義妹の2人目出産だったので、
私の2人目‥次男の時‥どんなだったかな‥
と、まず記憶を辿りましたが‥
ほとんど思い出せない。たった三年半前のことなんですけどね‥
最初と最後のお産は覚えてるけど、真ん中って‥!(次男よすまぬ)
しかし!日記があったのです。
長男の子育てが落ち着いてきた長男1歳~次男出産直後の3年弱は、
時々サボっているものの『モレスキンダイアリー』に日記書いてました!
それを見て記憶を呼び起こしながら、ざっくりまとめます(笑)
出産までの流れ
- 出産3日前(予定日13日前)の検診で「兆候なし」と言われウォーキングに励む。
出産2日前には近所の山(標高60mほど)に登り、出産前日には登呂遺跡まで歩く(往復4.6㎞)。 - 前日の夜からよくお腹が張り、下腹への圧力を感じるも、就寝
- 眠りが浅く、2時頃目覚め、4時過ぎには念のため洗顔などを済ませる(いつでも出られる準備)
- 5時頃から圧力が強くなる。痛いというよりあくまで下腹部への「圧力」という感覚。
時々立っていられないくらいのが来たりもして、間隔も5分おき位なので産院へ連絡。 - 5時40分頃産院に着き診てもらうと子宮口3センチ開いているとのこと
- 「痛み」とは認識できないレベルと伝えると「一旦帰る?」と言われ困惑(生まれそうなかんじはあった)
- そうこうしているうちに痛みっぽくなり、間隔も5分おきで安定
- 8時過ぎにはLDRへ移る
- 8時半~本格的に痛むも、痛みの合間の3~4分は普通に会話したり、寝不足ゆえに眠気すら感じる
- 9時頃~お産の大勢に入る(LDRなのでベッドはそのまま“おっぴろげスタイル”対応に変形)
- ~40分くらいMAXな陣痛の波と格闘、センセイ現る
- 9時45分。「次の大きな痛みで大きく息吸って、止めて一気にいきんで!」と言われ
「(痛いからムリだよ~!)」と思いつつ必死で息を溜める、次の瞬間‥例のギュルギュル!生まれる~
2人目なので出産の際も冷静でいられたものの、
その分痛みの強烈さも鮮明に感じるお産でした。
1人目はお産前後パニックになっていて、その後の記憶に残らなかっただけとも言えますが。
赤ちゃんに空気を送るポンプになる
陣痛MAXの波が来ている時は前述のように息をはいてばかりで中々息を大きく吸えない中でも次男は生まれるほんとに直前までお腹の中で元気に動いていたので、
「(彼に酸素を送らなくては‥!)」という意識が強まり、
『次男に空気を送るポンプになる』イメージで、呼吸(大きく息を吸う深呼吸)に集中できました。
集中して頑張っても、痛くてなかなかうまくいかないんですけどね。
ご対面の印象
えっ?髪の毛多いな!
次男との初対面でまず思ったのはこれ。
長男は当初髪の毛薄かったので、次男の髪の量と毛質にまず驚きました(笑)
じっさい、その後の赤ちゃん期の毛質や量が兄弟でも全然違いました。
ちなみに三人目となる娘は長男系で顔も髪も長男似です。
遺伝のふしぎですね。
やっぱり速い!三人目の出産
人生最後の出産であろう、娘の出産について。
2年経っていないというのもあり、まだ記憶があります。
出産までの流れ
- さて寝ようかなーと思っていた夜0時頃、下腹部への圧を感じる。
- 痛みとは言えないけど産院へ連絡すると「いちおう来てください」
- 夫が身支度する間はまだ横になっていよう、とベッドに横になった瞬間、
胎動と共にパチン、と破水。慌ててもう一度「破水したかもです!」と連絡すると「すぐ来てください!」となり、義母もかけつけ産院へ。 - そのままLDRへ直行、陣痛の波はみるみる強まる。
- 2時過ぎた頃から本格的にしんどい痛みへ。
- 「あとどれぐらいで生まれるかなー(=この痛み終わるかなー)」と時計を見たのが2:15、それから30分もしないうちに「えっ?なんかもう出ちゃいそうなんですけど?!」となり、
「いいよ出しちゃって~」と助産師さん(笑)大きな波2回目ぐらいでスポンと生まれる
3人目は速いよー!と三人産んでる義母の談の通り、とっても速かったです。
痛みレベルは上の子たちと一緒だけど、痛みに悶える時間は圧倒的に短く、
自分でも驚くほど、すぐ出てきたな!と思いました。
そしてトップ画像のカンガルーケアとなります。
破水からスタート!を初体験
上2人の時は出産スタイルをとった後の、痛みがかなり高いタイミングで破水したので
自分ではあまり破水した感覚が分かりませんでした。
この時に初めて、破水した感覚を味わいました。
「あ、動いたな」と胎動を感じたとほぼ同時にパチン、となったので、
娘の腕とかで割られたのかな?なんて印象でしたが、胎動で破水することはないそうなので、
たまたまなんでしょうね。
ちなみに、出口付近から水風船が顔出して割れたような感覚でした。
夜間はややさびしいお産
3人目にして初めて夜間、しかも日曜の未明に産んだので、
夜間に産むとちょっとさびしいもんだなと初めて知りました。
当然ですが日中に比べ、助産師さんが少ない。
この産院では夜間は基本助産師さんは二人なので、
産後の片づけの間など “おっぴろげスタイル” のまま一人になる時間もあり、
(一人はうちの子含む新生児のお世話で、片づけなど母親の世話は一人でやっていて時間もかかる)
なんだかなー、スース―して落ち着かないな(^^;
って思いました(笑)仕方ないんですけどね。
また大きな病院でなく医師一人のクリニックなので、
土日の夜間はいつものセンセイではなく
代理の医師になるというのもこの時初めて知りました。
最恐の痛みは長男出産直後に
三人の出産を経験して、一番痛かったのは産む瞬間じゃありませんでした。
長男の際の初出産、お産自体は事前に思っていたよりは
恐ろしいものではありませんでした。
お産後無事ご対面を果たし、カンガルーケア、写真撮影などしながら夫と
「安産で良かったネ」「割と余裕あったじゃん」
なんて会話し、しばらく穏やかな時を過ごしました。
しかし15~30分ほど経った頃だったでしょうか、
徐々に痛みだしたのです。
血腫切除
切開したところではなく、それよりもう少し奥‥?
よく分からないけど、ヒリヒリでも、ズキズキでもない、初体験の痛み。
しかもだんだんと痛みが強くなっていく‥!
助産師さんに伝え、患部を診てもらいます。
そうこうしているうちに耐え難い痛みに‥
上述のとおり、陣痛では理性が保て、心配していたように叫んだり、喚いたり
ということはなかった私ですが、
始め「‥痛いです、痛いです‥」と助産師さんに訴えていたのがその後
「いたいいたいいたいいたいー!」
という絶叫に‥。
状況を知らない助産師さんは、陣痛で叫んでいるんだと思ったそう。
いや、もうお産は穏やかに終わったんですよ‥
その後再び駆けつけた医師によると、
お産の際に産道が傷つき出血し、血腫が神経を圧迫している
とのこと。
徐々に大きくなる血の塊が神経を圧迫して痛みになるので
直後は痛くなかったのにだんだん痛みが強まったんですね。
血腫を切れば痛みはおさまると言われ、実際おさまったのですが、
切ってほんの直後、まだ「痛い」と叫ぶ私に医師から
「もう痛くないはず、静かに」みたいなことを言われ、
(お産中ヘタ、と言われた時は思わなかったけど)
「(アンタ産んだことないだろ!!この痛みも経験ないだろ!!)」
と怒りを覚えました(笑)
いやだって、センセイだってお産では痛いとか言ってなかったの知ってるじゃん?!
それよりずっと耐え難い痛みなんだって!!!と‥。
すぐおさまるとはいえ、切った瞬間に痛みが消えるわけじゃないんで!
そして血腫ができた箇所の他にも出血しているところが複数あったようで
「処置できるところはしましたが、まだ出血があるので
少し様子見てこのまま出血が続くようなら大きな病院に転院する可能性もあります」
と言われビックリ。
30分程助産師さんに患部を押えてもらい、無事出血は止まり転院には至りませんでしたが
安産と思った直後のドタバタに、お産の怖さを実感しました。
処置が始まって廊下に出ていた夫も説明を受け、同様に恐ろしさを感じたそうです。
恥もなにもない、けど‥
出産においては検診での内診、陣痛中でも数度内診(主に子宮口の確認)、
出産時はおっぴろげスタイルで医師や助産師さんに見守られながら出産、
産後も数度患部の状態を確認される‥
と何度も恥部を診てもらわねばならないわけですが、
恥も何も医療的措置なので仕方ないですね。
しかしこの血腫切除では
出産時よりずっと多い助産師さんが集合、
複数の助産師さんに患部付近を押えられながらの処置。
処置後も「ちょっと君ここ診て、どう?」と医師が何やら助産師さんと
“手さぐり”で患部の状態を確認し合い(見えないところはとにかく触診)、
その後30分私は脚を広げ続け、患部を押えてもらう、と‥。
(なんかすみません、大変ですよね‥などと会話していましたw)
こんなにたくさんの人に手を突っ込まれる妊婦はそういないんだろうな、
と思いました(・・;
痛みを思い出し涙
そんなこんなで、15時過ぎに出産したものの、
色々落ち着いた頃には夕方になっていました。
痛みが去った後も、しばらく痛みと処置の衝撃が残り、
ショックで茫然としたかんじでした。
産後のホルモンバランスの急激な変化も加わってか涙も。
冷静にお産の痛みが脳内に記録された次男の時も、
夜にはフラッシュバックするかんじで衝撃が残っていたので
出産自体が人生でも最大級の鮮烈な体験と言えると思いますが。
こんな話を聞くと出産怖っ!
となるかもしれませんが、血腫ができる確率は高くはないんだと思います。
(医師や助産師さんの言動からの推測)
これさえ無ければ、私にとって出産(の経膣分娩)は
「大変だけど経験しておいて良かった」
と言える体験でした。
(母として経験しておいた方がいいよ!と無痛分娩などを否定したりはしませんが)
立ち合いはしない
出産にまつわるネタとして、よく立ち合いをするかしないか、というのがありますが、
うちは立ち合い無しでした。
LDRなので陣痛までは部屋にいてもらい、いよいよ産まれる、という
出産スタイル(おっぴろげスタイル)に変わる前には出てもらい、
産まれて産後の処置も終わってからまた入ってもらう、というかんじです。
長男の時などはまだ処置を受けている私より先に、
廊下にいた夫や義母の方が先に長男を抱っこさせてもらっていたようです。
いいとこどりだなー(笑)
最初の出産では私自身、出産の前後自分がどうなるのか
(絶叫するかもしれない?!など)不明だったし
二人目以降も「その瞬間を見せなくても‥」と思ったのと、
「出産するところを見たら女でなく母として見るようになっちゃうかも」
と立ち合いを拒む夫の気持ちも理解できるので希望しませんでした。
陣痛の間一緒なだけで大変さは夫へ十分伝わるし、
子どもに対面すれば感動もちゃんとあるし、
助産師さんがツボを押さえてくれたり、励ましてくれたりするので
寂しさを感じることもなかったです。
産院の食事が産後の癒し
出産による痛みって産後にもあるんですよね。
出産前はあまりわからないんですが、
会陰切開の傷の痛みに(私は二人目以降は切らず、裂けもしなかったので無かった)後陣痛。
後陣痛は陣痛と違って痛み止めを処方してもらえるものの、
産むごとに痛みが強まり(子宮の戻りが早くなるためらしい)、
三人目の後など結構しんどかったです。
一人目の時は痛みに加え、身体の疲労が半端なかったですね。
陣痛の時間も長いし、血腫切除も加わり相当体力を消耗したんだと思います。
産後ってこんなにも身体が重いのか、と思いました。
5日で退院となるのですが、帰宅時もまだ歩くのがしんどかった記憶があります。
そんな産後の癒しとなったのが、産院での食事。
私はたまたまこの産院が住まいから一番近かったし建物も綺麗だったので選んだのですが、
ここの食事に惹かれて選ぶ人もいるらしいぐらい、豪華なのです。
元はレストランにいたシェフによるもので、
三食+おやつ、和・洋・中バリエーションに富み、毎朝レストランさながらのメニューが配られます。
しかも5食までは旦那さんも無料で頼める!
一緒に産後の大切なひとときを、との配慮だそう。
見た目も器や盛り付けなど凝っていますが、味も美味しい!
病院食とは思えない、質とボリュームです。
わー、多いな!と思うのですが、美味しいし産後はエネルギー不足なので、
毎食ゆっくり完食していました。
三人目は未明に産んだので、その分トータルの産院での食事回数も多く、ラッキー♪
と思いました(^m^)
三人目の妊娠期は産休もあってないようなレベルで仕事が詰まっていたので
入院前からこれを励みに頑張っていたくらいです(笑)
その分費用は他の病院より高かったようですが、
出産で頑張るんだから‥とそこは精査しませんでした。
もちろん部屋も個室で!(長男の時は希望しても埋まっていて、最初の数泊は4人部屋だったけど)
実際三人目の産後の入院中はノーパソ持ち込んで仕事してましたからね!
三人目の余裕というのもありますが、
自分でもよくやるな~と思いました。
(でも産後は安静が基本!
1ヶ月検診(母親)の際に大出血して命の危機を味わったという親戚もいます。)
まとめ
長くなってしまったので、本投稿冒頭の義妹も
数日かけて記事が書き終わる前に
無事出産となったようです。
何度も産院へ出向いては帰されを経ての出産、ホッとしたでしょうね。
怖い体験についても書いていますが、
基本的には出産経験は、貴重な体験ができて良かったと思っています。
何より、何か月もお腹に一緒にいた我が子に対面でき、腕に抱くことができる感動。
こんなのよくお腹に入れてたな!という驚き(笑)。
何にも代えがたい体験です。
この感動は経膣分娩でも無痛分娩でも、帝王切開でも同じだと思いますが、
経膣分娩はこれまでの歴史でも現代でも、世のお母さんが一番体験している出産方法
だと思うので、「こういうものかー」と自分でも経験できたのが良かったかなと。
一人目を帝王切開で産むも、二人目、三人目をリスクを承知で経膣分娩で産んだ友人のように
自分もリスクがあっても選ぶ、というほど経膣分娩に拘るほどではないし、
痛みの感じ方、トラブルの有無、
みんな違うので一概にこうとは言えないものですが。
産むが易し・母は強し、です。
コメントを残す